【西日本ツーリング2020】~序章 新たな旅のはじまり~

こんにちは。からあげです。

 

オーストラリアでは強い向かい風と単調な景色で心身が消耗し、帰国後の私は完全に燃え尽きて虚脱状態が続いていた。
山梨の山小屋に帰ったものの待っていたのは草刈りという重労働だった。誰も留守番のいない山林は草がぼうぼうに生えていて自転車を押して入るだけでも一苦労。無理もない半年も放置したのだから。

鎌を手に持ちコツコツと草刈りをやって一週間ほどで敷地内を綺麗サッパリにすることができた。だが草刈り以外にやることがないので、草刈り後は愛知の実家に移りさらに無為の時間を過ごしていた。ゴロゴロしているだけで過ぎ去ってゆく日々。いつしか季節は巡り、赤や黄色に色づいていた葉っぱが落ちて殺風景な風景が広がるようになった。

オーストラリア後の目標がなかった私は自転車の整備をしていたほかはダラダラと過ごす。このまま私は年老いてゆくのか?ゴロゴロしたいがために私は会社を辞めたのか?このままではマズい。その思いが次第に容積を増し、おっさんの頭の中をいっぱいにしていったのだった。

そんな怠惰な生活をしている最中にロケットの打ち上げを知る。九州南の種子島にロケット打ち上げ場があるのは以前から知っていたが、かなりの遠隔地のため行くことはないだろうと端から行くことを考えていなかった。

ロケットの打ち上げか。。。

そう思いつつ、物置屋根裏の合板の染みを見つめながら考えるのだった。人生でやりたいことの一つ

ロケットの打ち上げを近くで見物すること。

宇宙への憧れ。男だったら必ず一度は宇宙に憧れる。宇宙戦艦ヤマト、キャプテンハーロック、銀河鉄道999などの宇宙が舞台のアニメを見て育った団塊ジュニア世代の私もご多分に漏れず宇宙に憧れていた。当時は単純で素直だった私は感化されやすい質。(今でも)だが、面倒くさがりの私は宇宙飛行士を目指すことはなかった。

今から遡ることおよそ8年。会社員時代の末期、仕事が終わると船から降りて真っ先に向かうのは漫画喫茶。今ではネットカフェというオシャレな別名で言われることがあるが、行きつけのそこは通路の両側と壁に隙間なく本棚が設置され、その中にはびっしりと漫画本が並ぶ昔ながら漫画喫茶だった。ネットよりも漫画本。船の自室にネットに繋がるPCがあった私には漫画本にしか関心がなかった。

本棚の中に収められている膨大な数の漫画本のなかに宇宙飛行士を目指す兄弟の「宇宙兄弟」という漫画があった。暇さえあれば漫画喫茶に通い漫画を読み続けていた当時の私はついにその「宇宙兄弟」を手にするのだった。!
宇宙兄弟とは小山宙哉による全37巻の宇宙漫画。うだつの上がらない兄と出来の良い弟のコンビで、本気になった兄は弟を凌駕する高い能力を持つというありがちな設定なのだが、読み進めるうちに世界に引き込まれてゆく。作者の巧みな誘導におっさんはなす術なし。

兄六太と弟日々人の二人の兄弟が織りなす物語はワクワクドキドキの連続で毎日仕事が終わるのが待ち遠しかった。仕事終了と同時に船を飛び出し宇宙兄弟を手に取り貪るように読んだ。そうしてたった4日で全てを読み終えてしまう。

お店の人はこのおっさん何しているんだろう?と思ったかもしれない。度々来ている手間の掛からない客というくらいの印象だったのに、ここ最近の入れ込みようは半端じゃない。おっさんが少年のように目をキラキラ輝かせて時には笑い、時には悲しい表情を浮かべながら真剣に読んでいるではないか!

人がどう思うと関係ない。宇宙兄弟を読み進めていると、忘れかけていた子供の頃の宇宙熱が再燃したのだった。ロケットの打ち上げを知ると、居ても立っても居られなくなった。何をしていてもロケットのことが脳裏に浮かぶ。

一度はロケットの打ち上げをこの目で見てみたいと思っていた私。種子島の隣には屋久島もある。屋久島といえば世界遺産に登録されている自然豊かな島で、苔むした森や縄文杉、宮之浦岳で有名だ。ロケットの打ち上げ見学のついでに屋久島を観光するのも悪くない。そう思った私は具体的な計画を少しずつ練ってゆくのだった。

 

通勤ラッシュの最中、8時前に実家を出発すると定番の国道1号線で西に向かう。愛知県から自転車で西に向かうルートは国道1号線の他に国道23号線もある。しかし、国道23号線は海岸寄りの工場地帯を抜ける道で大型車が多く自転車には不向き。ほかに北寄りのもルートがあるが、木曽三川を渡ったすぐ先には鈴鹿山脈が行く手を阻む。

今回は少ないアップダウンで鈴鹿山脈を迂回するルートを選ぶことにした。国道1号線で名古屋から四日市、そして亀山を抜けると非名阪に入って奈良山中を越えて大阪に抜ける。

久しぶりの荷物満載の自転車に乗ると、早くも太ももが悲鳴をあげる。意識的にペースを落として走っていたものの、それでも体の負担が大きかった。オーストラリアで鍛えられた体は、長期間に及ぶ怠惰な生活により、ただのおっさんの体に戻ってしまっていた。

この旅の前にハブダイナモ付きのホイールに換装し、26×1.75インチタイヤから26×2インチ幅の幅広のタイヤに交換して走行抵抗が一気に増していた。体感では負荷が4割増し。

四日市を抜けると交通量が減って走りやすくなったが、ハイスピードの大型車が行き交うようになり神経をすり減らす。黄色の反射ベストを着用しリアライトを点灯していて遠くからでも目立つはずなのに、なぜか距離を空けないクソッタレな大型車がいる。歩道に逃げると今度は暴走ママチャリに気を使うことになるのでそのまま車道を走る。

1日目は無理をせず亀山を抜けたところで泊まり、2日目から一般国道25号線(非名阪)へと入ってゆく。

国道25号線は三重県四日市市大阪市を結ぶ一般国道。この道に並行するバイパス道路として三重県亀山市から奈良県天理市を結ぶ自動車専用道路の区間があり、通称「名阪国道」の名で知られている。自転車は自動車専用の名阪国道を避けて一般国道25号線(非名阪)を辿って走ることになる。

以前(2018年5月)通行止めで迂回を余儀なくされた土砂崩れ現場。すでに復旧工事は完了し通行可能となっていた。立派な擁壁が建設されていた。

 

2日目も朝から寒い。まるで冷蔵庫の中に入っているかのような寒さ。まだ早朝だと言うのに採石場のダンプカーが走っていた。ペダルを漕いでも漕いでも体が温まらない。

昼前に伊賀市でスーパーに寄って食料を補給する。駐車場の片隅に停められた重装備の自転車は異様な雰囲気を放つ。すでに何度も来ている伊賀市は少し休憩しただけで出発する。それにしても寒い。カッパの上下を着込んだらちょうど良くなる。

その後も25号線を淡々と走る。一部道幅が狭いところもあるが、自転車なので問題なし。多少のアップダウンがあるものの交通量が少なくて非常に走りやすい。非名阪は地元の人かよほどの暇人しか走らないようす。日本に出稼ぎにやって来ていると思われる外国人がママチャリで元気に走っているのをよく見かけた。

軟弱な日本人に比べて彼らは逞しい。単独もしくは集団で走り力強いペダリングで上り坂でも会話しながら軽々と越えてゆく。日常のサイクリングによって足腰が鍛えられているようす。

2時過ぎ針の道の駅に到着する。土曜日とあって駐車場はかなり混み合っていた。缶コーヒー片手に仲間たちと談笑するライダーたち。子供を連れでやって来てお店を冷やかす平凡な家族。自転車から降りると一気に寒さが襲ってくる。たまらず休憩室に逃げ込む。

地図を見ながら本日のねぐらを検討する。この先天理市まで行ってしまうと一気に町になってしまう。今日は天理市の手前で泊まりたい。目に付いたのは天理ダム。スマホアプリのグーグルマップで見てみると公園がある。周辺に民家はなさそうだし、トイレもある。ヨシ、今日はここで泊まりだ。念のために道の駅で水を汲んでおいた。

針から天理ダムまではあとひと頑張り。1時間ほどで到着し目指す公園に向かう。途中、ダム湖周辺道路で爆走する車とすれ違う。冴えないおっさんドライバーがタイヤを軋ませて猛スピードで走り去る。あとにはタイヤゴムの焦げた嫌な匂いが立ち込める。やれやれ。

走り屋を警戒して公園のさらに奥へと進む。ゲートをすり抜けてそのさらに奥へ。車が簡単に横付けできるような場所は野宿には不向き。車でやってくる人間はたいてい騒がしく人の眠りを妨げる。

人の痕跡がなくなった最奥にテントが張れる広場を発見。放置されてかなりの年月が経つ公園か?すぐさまテントを設営して休んだのだった。

3日目の目的地は大阪南港フェリーターミナル。そう、自走はだるいのでフェリーに乗ることにしたのだ。大阪からフェリーさんふらわあに乗り一気に鹿児島の志布志までワープする。そこから種子島・屋久島まではすぐ。フェリー出航時間は17時。天理ダムからフェリーターミナルまでは50kmちょっとの道のりで朝出発しても十分間に合う。

車の少ない日曜の早朝、天理ダムからの爽快なダウンヒルを楽しむ。まだ7時を過ぎたばかりで交通量が非常に少ない。麓までおよそ3kmを5分もしないうちに降りてしまった。太い2インチ幅のマラソンタイヤは衝撃吸収性と安定感が抜群で、まるで原付きに乗っているような感覚になった。

そのあとは国道25号線から県道12号で大阪南港を目指した。
時間が経ち大阪に近づくにつれて交通量が増えてきた。

自転車にとって安全距離での追い越しが難しい大型車は脅威。ディーゼルエンジンの轟音が迫ってくるとミラーで確認、そのまま走るか左に少し寄るか歩道に逃げるかの選択をすばやくする。

日曜の午前中は一般普通車と大型車の交通量が少ないくて走りやすい。午後になってくるとファミリーカーが大挙して出てきてあちこち混雑するようになる。長距離を走るサイクリストにとって日曜午前中はボーナスタイム。午前中に距離を稼いで混んでくる午後からはのんびり過ごすのが通のやり方。おっとイケない無駄話が多い。先に進めよう。

フェリーの出航時間までかなりの時間があるので咲洲(さきしま)のとあるショッピングセンター内にあった王将で腹ごしらえすることにした。咲洲は淀川の河口南にある人工島で、もっと人口密度が高いように思っていたが、実際来てみたら人が疎らだった。野宿は楽勝!とおっさん思わずニンマリ。島の出入りには橋かトンネルを利用せねばならず、地震で液状化が起きやすい軟弱な地盤のため、あまり人気がない場所なのだろう。人気(にんき)がないと書いて人気(ひとけ)がないとも読む。日本語って本当に面白い!

ランチは安くて美味い中華料理の定番の王将だ。頑張ってペダルを漕いだご褒美に奮発する。若い頃はよく利用していたのだが、おっさんになってからは滅多に行かなくなった。外食はお金が掛かるということもあるのだが、もっと切実な理由がある。それは体が脂っぽい料理を受け付けなくなってきたからだ。昔は脂大好きだったのに!

嗜好の変化は嫌でも加齢を意識させる。歳は取りたくないものだが、生きているのだから仕方がない!もう開き直って生きてゆくしかない。

とか何とか言いながらおっさんはチャーハンと揚げ物のセットを頼む。
揚げ物は鳥のからあげ2個にエビフライ1尾。エビをたっぷりの衣で大きく見せかけているのは職人ワザ。無駄に大飯食らいのおっさんが満足する量ではないが、腹の虫をごまかすには十分な量。

久しぶりに食べるとチャーハンの美味いこと美味いこと。お世辞にも上質とはいえないが、子供が喜びそうな中華独特の濃厚な匂い。王将は店員の腕に寄って味が大きく変わるというリスクがあるが、今回は当たり。こってりラードでサラサラに炒めたチャーハンは絶品だった。
唐揚げも外はサクサク、中はジューシー。ライバルとの競争により究極のコストダウンが迫られるなか、本当によく頑張っていると感心した。

昼食のあとは近くのAコープで買い物をする。
周辺の景色に溶け込ませるためか、それとも生活感を出すのがかっこ悪いと思っているのか、自己主張の少ない看板が店の入口に控えめに設置してあっただけだったので、スマホがなければ発見は難しかったことだろう。

フェリー船内での食事は持ち込んだ食料を食べる。何を隠そう私は人がたくさんいる場所での食事が嫌いなのだ!ビュッフェ形式の食事だと人の移動が多くて余計に落ち着かない。
それに金も掛かるし。

自分の好きな場所で黙々と食べる食事の方が好き。それは人間嫌いだから。この世の生き物の中で人間が一番キライ。なぜ?という質問にここで答えることになると、10万文字くらいを要しそうなので止めておく。

晩飯と翌日の朝食の2食分とおやつ少々。おやつがなければリラックスタイムが始まらない。アメリカ西海岸のPCTを歩いてから甘いチョコレートを好んで食べるようになってしまった。毎日荷物を背負って歩いていると、嵩張らなくて高カロリーの食品を選ぶようになる。あれはダメ、これはダメと贅沢を言っていたら食べるものがなくなる。

フェリーターミナルに向かってスカスカの道を走る。ここは本当に大阪なのだろうか?そんな疑問が湧いてくる。

フェリーターミナルに到着!出航6時間前となるもの凄く早い到着となった。
寄り道して来ればよかったかな?とわずかに思いはしたが、こういう時間が決められた時に限ってしくじることもある。時間を気にしての慌ただしい観光は止めにして、フェリーを眺めながら優雅な午後をすごそうではないか、そう決めたのだった。

白い船体に大きく描かれた太陽。朝方はどんよりとした曇り空であったが、次第に天気が回復てして青空が覗くようになった。インスタ映えしそうなフェリーを見ているだけで旅情を掻き立てられる。

今回西日本の旅の前に改造を加えた自転車。
ハブダイナモ付きのホイールに換装しタイヤをより幅広な26インチタイヤを装着。ハブダイナモが発電する電気でフロントライトとリアライトを常時点灯する。さらに前後に泥除けを装備。

改造を加えたディスクトラッカーはまさにツーリング向けの自転車となった。このまま世界一周に出かけても全然大丈夫♪

こうして大阪南港からフェリーさんふらわあに乗船したおっさんは九州南部の志布志を目指す。
夕暮れ時の出航の際はデッキに出て心地よい風に当たった。ブォーっという長い汽笛の合図とともにロープが離されて離岸する。

岸壁上ではフェリー会社の人が光る棒を振りながら見送ってくれていた。それを見た私は思わず手を振ってしまう。繰り返される岸壁上の日常の風景。

 

さあ、いよいよ始まった西日本ツーリング2020。この先何が待ち受けているのだろうか?

続きはまた今度。