自転車趣味を長く続けるには

こんにちは。からあげです。

はじめに

人生で初めて手に入れる乗り物。それが自転車だ。
自分の行動範囲を広げるため、いや単に楽しそうだから。何度も転びながら練習して初めて乗れた時のことは一生忘れない。風を切って走る喜び。見知らぬ風景に心踊らせる。

子供のころ毎日のように乗っていた自転車も、オートバイや車の免許をとってしまうと疎遠になることが多い。特に公共交通機関のない不便な田舎は車社会だ。高校を卒業したらオートバイ(原付き)か車に乗るのが当たり前となっている。

だがそんな状況でも社会人を続けてお金と時間に余裕が出てくると、再び自転車に乗る人も出てくる。かつて爆発的なヒットとなったアニメ「弱虫ペダル」や欧州のロードレースの影響、「楽しいし、運動にもなるし、ストレス解消にもなる」などの甘言を真に受けて自転車を始める人だっている。だが悲しいかな、その多くは続かない。

噂によるとスポーツ自転車に乗り始めて1年後も乗り続けている人は2割程度なのだとか。(おっさん調べ)真偽のほどはよく分からないが、新品同様の自転車がたくさん出回っている中古市場を見ると頷ける。

私の場合、ふと思い立って車(スズキジムニー)を売却して自転車生活を送るようになったのが今からおよそ4年前。それからは自転車一筋に生きている。
時々辛いときや苦しいとき、見るのも嫌になるときもあるが、これまで車やオートバイが欲しいと思ったことは一度もない。多くの人が自転車を辞めていくなかで、私が続けられているのはなぜなのか。単に暇というだけでは断じてない!これから私の経験と妄想をもとに説明してゆきたい。

 

原動機付きの乗り物は持たない。

車は自分の好きな時に好きな場所に行くことができてとても便利な乗り物だ。しかしそれは見かけだけのことで、実のところ全く便利ではない。
税金・整備費・駐車料金・ガソリン代などが必要な金食い虫だし、保管場所もとる。さらには環境に過大な負荷を掛け、エネルギー・資源を浪費する。(そのツケは後世に先送り)なおかつ神経を使い長距離を運転すると精神的に疲れる。
そもそも、アクセルペダルを踏むだけで加速し、ハンドルを切るだけで曲がる車は簡単過ぎてつまらない。

自転車は自分自身でペダルを漕がねばならないので肉体的には疲れるが、移動するついでに運動もでき、いくら食べても太ることはないし、走っているだけで楽しい。おまけに排気ガスは出さないし、少ない部品で構成されていて資源も節約できて地球に優しい。

私はよほどの場合を除き、どこに行くのも自転車だ。谷を越え山を越え、雨の日も風の日も、ペダルを漕ぎ続ける。選択の余地がなければ嫌でも自転車に乗らねばならない。
そう、好き嫌いを言ってられない状況に自分を追い込むと、嫌々ながらでも自転車を続けられるようになるのだ!
歩くのは時間がかかり過ぎるし、かといって電車やバスなどの公共交通機関は待ち時間が多くて好きな場所にも行きづらい。そもそも田舎過ぎると走ってない。
原動機付きの乗り物を除けば、自転車が最も効率の良い移動手段となる。

私の愛車はサーリーのディスクトラッカー。強靭なクロモリフレームでたくさんの荷物を積載でき、雨の日でも安定した制動力のあるディスクブレーキ搭載するツーリング車だ。荷物を乗せれば乗せるほど、天気が悪くなればなるほど真価を発揮してくれる。
非常に丈夫だが重たい自転車なので時々嫌になったりもするが、仕方なしに走っているうちにまた楽しくなってくる。

そうなったらシメたもの。不思議とペダルは軽くなりどこまでも走って行けそうな気がする。楽しい時は気が済むまでどこまでも走り、嫌になった時は必要に迫られた時だけしか乗らない。
このとき注意したいのは、少しの距離でもよいので間を開けずに自転車に乗り続けることだ。通学・通勤・買い物で使うと、間を空けずに済む。

では電動アシスト付き自転車ならいいのか。モーターがアシストしてくれる電アシは確かに楽。だが楽を取ると、確実に失われるものがある。それは楽しさだ。一度電アシママチャリに乗ったことがあるが、重たく気持ち悪いだけで全然楽しくなかった。
ペダルを回すだけでグイグイ進む電アシはなにが楽しいのかさっぱり分からない。単なる移動手段と割り切って乗る乗り物だろう。

 

自転車は自分で整備する

自転車の楽しさは走るだけでなく、弄ることにもある。いや、私の場合は弄る方が楽しい。
今やネット上には自転車整備に必要な情報が全てある。動画を見れば分かりやすい。あとは自分でやるか、やらないかだけ。

整備はプロ任せだと費用が高くつくし、出先で故障した場合は非常に困ったことになる。
誰もが始めは初心者だ。始めは分からなくても、自分で弄っているうちに分かるようになる。

体に合うよく整備された自転車は乗っていると非常に気持ちいい。意のままに操り、気の赴くまま走りつづける。このとき感じられる自転車との一体感は最高だ。
時間を掛けて走っては調整しを繰り返し、ついにポジションが決まった時の喜び、何度も分解しては組み立て直しようやく修理できた時の嬉しさは格別だ。こんな楽しいことを人に任せては勿体ない。
ただし、ママチャリは恐ろしく整備しづらいので趣味兼用としてはおすすめできない。特に内装変速の後輪の着脱は面倒くさくて本当に嫌になる。

自分で整備していれば、嫌でも楽しくなってくる。安上がりだし手先が器用になってくる。さらに難解なパーツの互換性も分かるようになってくる。こうして好循環が生まれ、どこまでも楽しくなってゆく。
同じセッティング、パーツで乗り続けるのではなしに、時々いつもとは変えてやると新たな発見があって楽しい。目から鱗が落ちる体験を何度も味わうことになる。不要になったパーツは安価で手放してほかのパーツの購入資金に充てる。

走って、弄って、眺めて楽しむ。それが自転車の正しい遊び方だ。自分で弄らないのは自転車の楽しさを半分捨てているようなもの。
ああ、自分は何でもっと早く自転車に乗らなかったのだろう?そう思えてくる。

 

結論 ~車・オートバイは持たず自分で弄る~

苦痛があってこその自転車。苦痛と楽しさは表裏一体。苦痛のない自転車はもはや自転車ではない。

苦痛があるからこそ、自分で考えてより効率の良いペダリング、より良い各部の調整ができるようになる。自転車に乗る度ごと、自転車を弄る度ごとに新たな発見がある。心はいつでも少年のまま、ワクワクドキドキの連続だ。

目的地に最短距離でゆくのはツマラナイ。同じ道ばかりを走らない。より困難な道、より楽な道、気になる場所に寄り道して目的地に向かう。

すると、自然と楽しくなってくる。つまり人生と同じ。

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