こんにちは。からあげです。
枕崎を出たあと海岸線に沿って西へ進むか、それとも山中を通って南さつま市へショートカットするかの2つに一つ。
無性に走りたかったけれども、雨続きでテンションが下がっていた私は、ためらわずにショートカットする道を選ぶ。
なんと軟弱な!
そう言われても仕方がないが、嫌なものは嫌。海岸沿いをゆけば、野間崎まで40kmちょっとの距離。
枕崎を出てしばらくすると曲がりくねった道が始まり、かなりのアップダウンが予想される。野間崎に寄り道すれば、さらに時間がかかり今日中にさつま市街地まで行くのは厳しい。
泊まりの食料を積めば自転車が重くなり余計に体に負荷が掛かって、さらなる食料を積むことになり悪循環に陥る。ここは夢も希望もない、安心安全の最短ルートを選ぶ。
枕崎から国道270号線を北上する。緩やかなアップダウンでかなり楽だった。道路沿いの東屋で熱いお茶を飲んで冷えた体を温める。
さつま市街地に入ったところでスーパーに寄って買い物をする。
遠くからでもはっきりと分かる大きな看板が目印のスーパーセンターニシムタ。
ホームセンターとスーパーマーケットが合体した巨大な店舗で移動する大変だった。自転車ばかりに乗っていると、気が付かないうちに歩くための筋力が衰えてくる。
買い物を済ませたあと、万世(ばんせい)特攻平和祈念館にやって来た。
ここ万世には終戦前に建設され特攻機が飛び立っていった飛行場がある。
せっかくなので見学してゆくことにした。
開館時間 9:00~17:00(入館は16:30まで)
休館日 12月31日、1月1日
入館料 大人(高校生以上)310円
昭和18年夏から19年末にかけて吹上浜に建設されたのが、陸軍最後の特攻基地「万世飛行場」。
この飛行場はわずか4ヶ月しか使われませんでしたが、17歳の少年飛行兵を含め200人近い特攻隊員が“祖国のため”を合言葉に、ここから沖縄の空へと飛び立っていきました。
任務を終えて帰投中に敵機の襲撃を受ける。応戦してなんとか難を逃れるが、その後燃料の切れのため吹上浜沖合に不時着した。着水後、水没して海底の砂に埋もれていたが、半世紀近く経ってから引き揚げられ、修復されて展示されている品である。
当館の展示機は、関係者の説明から「零式水上偵察機一一乙型機」と推定される。
同型機は、零式水上偵察機のなかでは後期に製作されたものであり、各種の改良・装備の充実がなされており、特に探査装置としてレーダー装置が付いていたほか、長時間の航続に備えて自動操縦装置(戦後米国産小型旅客機に装備されていたものと同じ方式)が装備されるなど、終戦当時最も優れた性能を有する「水上偵察機」であったと言われている。
同型機は「零式水上偵察機一型」に属するものであり、その一般要目(性能等の概要)は、次のとおりになっている。名称 零式一号水上偵察機一型
型式 低翼単葉単発動機双浮舟三座
定員 3人(操縦、偵察、通信兼射手)搭載エンジン 金星発動機四三型 地上公称900馬力 最大1075馬力降着装置 主浮舟 長さ7,940mm 幅1,060mm性能装備 最大速度 385km/h 航続力 3,320km装備 自動操縦装置、空六号無線電信機4型、一号電波探知機、磁気探知機
零式水上偵察機とは日本海軍は、昭和12年に高性能の長距離三座水上偵察機の試験研究を航空機製作会社に要請し、これを受けた関係者は研究試作を続けた。そして、「低翼単葉三座水上偵察機」を完成、海軍は昭和15年12月に正式に偵察機として採用することになった。その後昭和20年までの間に、3工場で1423機が製作されたが、この間、水上偵察機の特徴である「浮舟」関係の改良が行われたのをはじめ、夜間偵察用機は排気管を延長したり、各種の探査装置を装備するなど、その目的によって装備の充実が図られた。そして、偵察のほか哨戒・連絡・攻撃・輸送さらには救難にまで利用され、水上機ならではの多用途機としての役割を果たし、太平洋戦争中の全期を通じて日本海軍作戦地域の全域にわたり活躍した。しかし、数々の活躍をした「零式水上偵察機」もそのほとんどは太平洋戦争中に姿を消しており、当館に展示されている「三座水上偵察機」はかつての勇姿を偲ばせる貴重なものとして、関係者の関心が高い。
竹製 落下燃料補助タンク太平洋戦争の末期に陸軍の戦闘機に装備されていた補助燃料用の落下タンクです。飛行機の飛行距離を伸ばすため使い捨て用の補助燃料タンクが使われていた。竹製だけでなく木製の落下タンクも使われた。
戦闘機にはこのタンクと爆弾をそれぞれ片翼に1基ずつ装着し、落下タンクは戦闘開始前に切り離し、落下してから体当たり攻撃した。落下タンクの概要長さ 1.5m胴回り 1.4m
容量 約200L
材質 孟宗竹の編組み
外装 厚手の和紙
内張り 特殊な塗装を使用
中支え ベニヤ
製造地 長野県
ツーリングマップルに出ていたのを目にして、ふと興味が湧いたのだ。
「吹上浜サイクリングロード」(正式名称は「一般地方道加世田日吉自転車道線」)は,日本三大砂丘の一つである吹上浜を縦断し,東シナ海に沈む夕日など雄大な景色を楽しむことができる,全長23.9kmの自転車専用道路です。
屋根に草を生やしている立派な東屋だ。雨に濡れて体が冷えてきたところだったので、ここで休ませてもらうことにする。
人気が全くなく風雨を遮る屋根と壁がある。さきほどの東屋と比べると格段に居住性が高い。
雨のためかサイクリングロードを走っていても、ほとんど人は見かけない。海岸沿いの防風林の中にあって海は見えない。淡々と森の中を走ってゆく。
廃線跡を思わせる直線部分。
落ち葉が積り、砂が溜まっている場所が多く、正直言って状態はあまりよくない。昔の鉄道の廃線跡を利用したサイクリングロード。ロードバイクでスピードを出して走るところではない。
ゆっくりのんびり景色を楽しみながら走る。とは言っても海は見えないが。
ところどころにこうして東屋が整備されていて休憩場所には困らない。
強い日差しと冷たい雨から守ってくれる実に頼もしい東屋だ。
吹上浜公園内に立派な東屋を発見する。走り始めの公園は吹上浜海浜公園。こちらは吹上浜公園。似たような名前で紛らわしい。
東屋は駐車場隣にあってトイレも整備されている。
中は広々。1方向に壁があり雨が奥まで吹き込むことはない。
雨なのにグランドゴルフをやっている人がいる。雨宿りと休憩のために時々やってくる。
こんな雨のなか自転車に乗って物好きにもほどがあるというような表情を浮かべた人から話しかけられた。
私もこんな雨のなかグランドゴルフなんて物好きにもほどがあるというような顔で答えた。
さきほどの東屋も悪くない。ただ駐車場が近くで人の出入りがあって落ち着かない。
15時を過ぎたばかり。あと少し走ろう。
サイクリングロードは集落内でとぎれとぎれになりながらも先へと続いていた。
防風林の中ならどこでも野宿できるが、雨が降り続いたせいで地面はゆるく、テントを張れる状態ではない。
一面の白菜畑。雨が止むと虹が現れた。
海の見えないサイクリングロードは途中からどうでもよくなったが、わざわざ国道に出ようとまでは思わず。
昔の駅が残されている。当てにしていたものの、来てみると近くに民家があって落ち着かない。しかも開けた場所で丸見えだ。
日没の時間が迫りくる。国道が近くなったところで、サイクリングロードを離脱して国道を走ることにした。
ちょうどその時、おっさんの野宿センサーが反応した。ふと視線を上げると、斜面の途中に平坦な場所があるのが見えた。
上がって確認してみると、そこは神社だった。
昔からあったのか、それとも道路建設のために移されたのか。私にはそんなことはどうでも良かった。人目に付かず一晩安眠できる場所であるならば。
お参りをして神様に伺いを立てると、「おう。そこの旅の者、今日はここで泊まっていけや。」というようなありがたいお言葉を頂いたので、ここで泊まることにした。
国道が近くてトラックの走行音が気になるが、斜面と防風林が強い北西の風を防いでくれて非常に快適だった。
地面は砂地で水はけ良好。地震で倒壊のおそれがある鳥居からは十分離してテントを設営した。
丸一日、日没ぎりぎりまで頑張って行動したあとに見つける野宿場所はまさに天国だ。このあと手早く食事を済ませて暗くなると眠りに就いた。