自分の居場所は自分で創れ!

こんばんは。からあげです。

 

私は物心ついた頃から、この世のどこにも居場所がなかった。家にいると酔っ払った親父が難癖を付けてきて、私を庇おうとする母の言動が火に油を注ぎ、家の中は修羅場と化す。怒りの矛先は母、兄、私へとその日の親父の気分で向けられ、自分が標的でない時はつかの間の平和が訪れる。だが、いつ何時飛び火してくるやも知れず、全く気を抜くことができない。そんな暴君が君臨する家の片隅で、じっと息を潜めて嵐が過ぎ去るのを耐えていた幼き日の私。今、あの時の自分と会えるなら思いっきり抱きしめてあげたい。お前はお前のままでいいんだと言ってあげたい。

私の両親は団塊の世代と言われる貧しい戦後の時代に生まれた。新潟県の山深い貧しい山村の出の両親たちは、中学卒業とともに大都市に就職の口を求めて旅立った。新聞の小さな求人欄を当てにして。子供を遠くにやって口減らしして生活費を抑え、子供からの仕送りによって貴重な現金収入を得る。今でこそ鬼畜な行為だが、当時は至って普通だった。

都会の中のタコ部屋のような寮で生活し、低賃金で馬車馬のごとく酷使されながらも、親に仕送りをしながらコツコツ貯金をして20代でささやかながらマイホームを得ることができた両親たち。親父の自慢は親の援助なしに20代で家を建てたこと。耳にタコができるほど聞かされた。

そんな家の次男坊として生まれたのが私だった。学校から家に帰っても両親は仕事でおらず、テーブルの上にどん兵衛一個がぽつんと置かれているのみという日も少なからずあった。仕事を掛け持ちして働いている両親たちは息つく暇もないほど朝から晩まで働き詰めだった。そんな姿を見ていた私はとてもではないがワガママは言えなかった。ワガママ盛りの子供なのに、何にも言えず、言葉を飲み込むことしかできなかった。私の願いは、親父には酒を飲まずにいてくれ、母には家にいて欲しかった。

親父の酒癖の悪さはいつまで経っても変わらずで、毎晩飲んでは家族に当たり散らすのが日課だった。朝は朝で二日酔いで非常に機嫌が悪いことが多く、私の一挙手一投足を見て、ちょっとでも気に入らないことがあると烈火の如く怒りまくる。(そのお陰で箸の使い方だけは上手いが。)朝の修羅場からなんとか脱出した私は鬱々とした気分で学校に向かう。学校は学校で仲の良い友だちがない期間の方が長く、ひとりポツンと机に座っていることが多くて、万年転校生な気分だった。本当に本当に辛かった。何かを考えるではなしに、頭を空っぽにしてただじっと休み時間が終わるのを待っていた。本来楽しいはずの学校が全く楽しくはなく、家は家で怒られるばかりで楽しいことなど何もなし。

そんな実家から二十歳で脱出したものの、代わり映えのない人生は続き、歳だけは重ねて行く。いつまで経っても人生楽しくはない。周囲の人間とは見えない壁に阻まれて、気持ちを通わせることができなかった。見た目は同じ人間でありながら、自分は人間ではなく別の生き物のように思えてくる。なぜ、自分は他の人のように楽しく生きられないのだろう?そんな人間が酒に溺れるのは時間の問題で、気がついたら親父のような酒浸りの生活を送っていた。

仕事から帰ると、家で飲むか出かけるかして酒を飲み始め、泥酔して意識を失うまで飲み続ける日々。僅かな帰巣本能だけは残していたためか、いつの間にか家に帰って寝ていた。時にはゲロまみれになりながら。

そんな飲んだくれのクソみたいな生活を長年送っていた私だったが、Bライフに光明を見出してからは自堕落な生活と決別する。心機一転、酒を断ち、より一層貯金に励むようになる。そして働き盛りの40歳で仕事を辞めてフリーとなる。

何をやるのも自由、何時に起きるのも自由。自由な生活を満喫していた私はBライフ定番の小屋ぐらしに向かって邁進する。放浪の旅の末、ついに終の住処となる山林を手に入れて、自分で小屋を建てたのだった。自分の家を自分の手で建てて、自分のことがとても誇らしかった。

だが、時が経ち小屋ぐらしに慣れてくると、どこかに違和感を感じるようになった。本来楽しいはずの小屋での生活が全然楽しくない。私が望んだ生活だったはず。どうして?その違和感は次第に大きくなって私に大きく伸し掛かっていった。

ついに自分の居場所を手に入れた!と思ったのはただの勘違いだった。何をするでもなしにひとりぽつんと小屋に居るのは気が滅入った。何かしようという気はあるが、小屋の改築が大方終わりやることがない。金を掛けてまで必要のないことはしたくない。次第に小屋を空けることが多くなり、そのうちほとんど寄り付かなくなってしまう。

 

去年のオーストラリアを自転車で走っていたが、心身と財布が消耗するばかりで楽しさを見出すことができなかった。なぜこんなにも楽しくないんだろう?そう考え続けて走っていた。

今になってその理由がハッキリと分かる。それは自分の問題と向き合うのを避けて海外に逃亡していたからだと。とりあえず海外に出れば、異文化に触れられて気が紛れる。そして自分の抱えている問題から逃げ続けることができる。

逃げてばかりの人生で本当にいいのか?

自分のやるべきことをやらずに逃げてばかりでいいのか?

自分の居場所をなぜ探さない?

自分の居場所がないなら、なぜ自分で創ろうとしない?

 

山梨の小屋と愛知の実家は私の心休まる場所ではなく、自分本来の居場所ではない。今後、小屋は文字通りの避難小屋として、実家は食料保管庫として活用してゆくことになるだろう。

しばらくの間、海外に行くのは止めて国内での活動に専念する。自分の居場所を創ってから、気分転換で2~3ヶ月の短期で行くくらいで十分だ。海外は封印、もちろん国内を無目的に放浪するのも封印。もう人生残り少ないから、ここらへんで真剣にならないと時間切れであの世行きになる。せっかくこの世に生まれたのに、自分の居場所で思う存分心休ませることを経験せずに死んでゆくのはとても悲しい。悲しすぎる。

 

さて、今後の方針が決まったことだし、ぼちぼち再始動しようか。