存在消滅~死の恐怖をめぐる哲学エッセイ~を読んで

こんにちは。からあげです。

 

待ちに待った寝太郎さんの新刊本「存在消滅 死の恐怖を巡る哲学エッセイ」がついに出版された。
一時期ブログ更新が途絶えて消息不明となっていた寝太郎さんだったが(普段よくあること)、東京のアパートを引き払い新たに建て替えた小屋で暮らしているようす。

私が寝太郎さんのことを知ったのは出口の見えないサラリーマン生活に絶望していた40歳前の頃だった。来る日も来る日も面白みのない労働に時間の大半を費やし、その見返りとして少なくない給料を得ていた。だが生きている充実感が全くなし。もぬけの殻のような人間だった。

部屋に引きこもり酒を飲みながらネットを徘徊していたあるとき、小屋で暮らす寝太郎さんのブログを発見して衝撃を受ける。強烈に惹きつけられた私は貪るようにブログを読んだ。ようやく出口の微かな光が見えたような気がした。
何度もブログを読むうちに感化された私は会社を辞めて新たな人生を始めたのだった。

 

今回はこれまで繰り返し語られている「死の恐怖」についてと、アパート暮らしを経て再び小屋暮らしに戻るまでの内容だ。

誰も死について本当のことを言おうとしない―。

「永遠の無」の恐怖について、小屋暮らし、仕事、旅、宗教、孤独、文明といったテーマを交え、独特の視点で綴ったエッセイ集。

著者略歴

 

寝太郎さんのいう「死の恐怖」とは一体何なのか。実に興味深い。
私ももちろん死ぬのは怖い。しかし思い煩っても死を回避するのは不可能。なので普段は考えないようにしている、というような多数派の人間だ。
迫りくる死から逃げる術はなし。

ひょっとしたら今現在は、脳内のデータを保存して別のまっさらな人間に移し替える技術が確立されているのかもしれない。臓器の修復だって金さえ払えばできるのかもしれない。だが私はそこまでして生きたいとは思わない。
一度きりの人生で十分だ。もうたくさん。

毎日毎日、暇つぶしのために何かをしていないと気が狂いそうになる。
自分の人生に意味などない。そんな心の声を打ち消すためにコツコツと作業をしたり勉強したりして気を紛らわせている。

 

寝太郎さんも飛行機嫌いなのだそうだが、パニックを起こしそうになるのではないかという恐怖からだそう。
私の場合は逃げ場のない閉鎖空間で死を待つしかない状況に陥るのが怖い。2基あるエンジンが2基とも火を吹くとか、イカれたテロリスト達がコックピットに乗り組みパイロットを殺してしまうとか、所属不明の戦闘機から攻撃を受けて機体に大きな穴が空くとか。妄想が膨らみ爆発しそうになる。

乱気流に巻き込まれて機体がすっと降下するとヒヤッと肝を冷やすし、離陸してシートベルト着用ランプが消えるまで全然落ち着かないし、着陸時にタイヤが接地してエンジンが逆噴射されスピードが落ちてきて初めて落ち着きを取り戻す。そう、おっさんは根っからの小心者なんで。

 

今回の新刊本は難解な部分が多いが、寝太郎ファンにも楽しめるように消息不明期間のことなどが散りばめられた構成となっている。
なるほどそうだったのか。ふむふむなるほど。などと心の中で相槌を打ちながら読み進めているうちに読み終わってしまった。

再び小屋ぐらしを始めた寝太郎さんは今後どこへ向かおうとしているのだろうか。
まだまだ目が離せない寝太郎さん。いや、高村先生。今後の活躍も楽しみで仕方がない。

 

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