【西日本ツーリング2020】ロケットの打ち上げを待ち続ける日々

こんにちは。からあげです。

 

昨日の夕方から降り始めた雨は一段と勢いを増し、激しい雷雨へと発展する。
雷の音で目覚めた私は周囲のようすを五感で感じる。テントに叩きつける大粒の雨、フレームをたわませる強風。

気づくとテント内は完全に浸水して、ウォーターベッドのようになっている。
雨の中、顔を出して外のようすをうかがうと、周囲一面の水浸し。
寝袋は湿って保温力が低下し、着ている服は濡れて寒気がしてきた。

カッパ上下を着てトイレに避難する。
時間を確認すると夜中の1時過ぎ。外は激しい嵐だが、トイレ内は静かで至って快適。
その場で体育座りをして壁にもたれてウトウトする。

1時間ほどすると、体が冷えてきた。カッパの下に防寒用のフリースを着てきたが、濡れた体では寒すぎる。雨も弱まって来たことだし、テントに戻ることにする。

翌朝、遅い時間に目が覚めると、まだ雨が降り続いていた。
雨が弱まった時を見計らって外のようすをうかがう。

すると芝生広場の水たまりがずいぶんと小さくなっていた。(夜は池のようになっていた)

寝袋は完全に湿ってしまい保温力は激減。仕方ないので衣類を着込んでカッパ上下を着用する。
テント内の浸水はいくぶんマシにはなっているが、タオルで吸い取ったところで、すぐに水が染みてくるので意味はなし。

不快なテント内で食事を済ませて読書をしていると雨が止んでくれた。
天気予報によると、今後も降ったり止んだりを繰り返すとのこと。

雨が上がっている間に食料の買い出しに行くことにした。

展望広場から見えた謎の施設。宇宙に向けてアンテナが直立している。

キャンプのできる宇宙が丘公園からもっとも近いスーパーマーケット。南種子町のAコープ。
公園で待機中に何度もお世話になった。

決して品揃えが良いとは言えないが、良心的な価格で食料が手に入るのは大いに助かった。

軒下でクリームパンを食べる。
おっさんのささやかな楽しみ。

雨が降っていると、テント内で読書するくらいしかやることがない。バッテリーを大量消費するスマホは必要最低限の情報収取のみ。キンドルを持ってきて本当に良かったと、今回ほど思ったことはない。電子書籍端末のキンドルは目に優しくバッテリー長持ちで野宿者にはとても便利なアイテムだ。

キャンプも可能な宇宙が丘公園の多目的広場。
ロケット打ち上げ前だというのに、誰もキャンプに来ない。
しばらく貸し切りの状態が続く。

熱々のラーメンを食べて冷えた体を温める。
冬はラーメンの季節。南国の種子島でもラーメンは欲しい。

昼飯を食べているうちに、天気が急速に回復して数日ぶりに日がさすようになった。
今がチャンス!とばかりにテント内のものを出してフロアを乾かす。

立木にロープを張って濡れた衣類などを乾かす。
本当に貴重な晴れ間だった。

その後も天気は回復し続けて真っ青な青空が広がった。
雨続きで湿りがちだった気分も、ようやく回復した。

日差しを浴びているだけで前向きな気分になってくるから不思議。
だが、気分を盛り立てようと必死に頑張っていた私に、とてもショッキングな出来事が起こったのだった。

当初、ロケットの打ち上げは1月27日だったが、打ち上げ当日の天候悪化が予想されたため、翌日の1月28日延期された。
だが、その28日の打ち上げ当日になって陸上設備の配管に不具合が見つかり、打ち上げは中止となってしまった。
スマホでこのニュースを知ると、落胆のあまり目眩がした。今回のロケットの打ち上げを見学するために、はるばる遠い種子島まで来たというのにあんまりだ。などと嘆いていても現実が変わることはなし。
新たな打ち上げ日が未定のままの状況で、ここで待機するか、もしくは種子島を出てほかに行くかの2択を迫られた。
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ロケットはとても繊細で雨が降ってもダメ、強風が吹いてもダメ。打ち上げに適した気象条件が厳しいため、打ち上げ延期はよくあること。私は一週間程度なら待つつもりだった。
打ち上げ費用が85億から120億円も掛かると言われるH-ⅡAロケット。打ち上げに失敗すると、膨大な金が無駄になるとともに、信用が傷つき宇宙ビジネスの存続に関わる事態に陥る。つまり失敗は決して許されない。
だから、今回の不具合箇所は徹底的に調査され対策がなされるはず。それにはかなりの時間が必要とされるだろう。それまで待つか。それとも先に進むか。
だが、望みはある。幸いにもロケット本体ではなく、陸上設備の不具合だからだ。
 
悩みに悩んだ末、私は種子島に留まることにした。
夢にまで見たロケットの打ち上げ。この機会を逃すと、次のチャンスはいつ巡ってくるか分からない。
人生は有限。やりたいことを先延ばしにしていると、あっという間に寿命が尽きる。
宇宙飛行士になる夢は叶えられなかったが、ロケットの打ち上げだけでもこの目で見たい。
その後も降ったり止んだりのハッキリしない天気が続く。雨が止んでいるときに度々出かけた。
やって来たのは種子島南端付近の七色観望所。ここからの景色は一日に七度、季節ごとにも七度変わると言われているそうな。
七色観望所入り口に生えているガジュマルの木。
木の枝から垂れ下がる根っこが南国を思わせる。
ポルトガル人上陸の地
この地に漂着したポルトガル人が鉄砲を伝えたとされる。
天文12年8月25日に、南蛮船がこの地に漂着、船員が上陸して鉄砲を伝えた。このことが我が国に鉄砲が伝来した最初の出来事である。
この出来事の発端は、その時の地頭である西村織部丞時貫(にしむら おりべのじょう ときつら)と松村七郎朝光(まつむら しちろう あさみつ)、そして御側用人の徳永大八祐家(とくなが だいはち すけいえ)らが、その南蛮船におもむこうとした時に、船より鉄砲が放たれたことにある。その音は雷のようであった。
西村織部丞らは大いに驚いて、次の手紙を書いて渡した。「あなた達は風浪によって漂流してこの地にたどり着いたのか。それとも、海で略奪をする者たちか。今、あなた達は船に兵をのせ、武器を使用した。それは攻め込んで害をなす者達(冠賊)と同じ行為である。もし冠賊であるというならば、私たちは兵をもって討伐するだけである。返答を待つ。」
南蛮船からの返書には次のように書いてあった。「私たちは冠賊ではない。商人である。求められた商品を積み、さきの日にとある港を出発し、目的地に向かう途上に台風にあい、漂流し困り果てていた。たまたま、この地に漂着し災厄を免れることができた。私たちが冠賊としてきたわけではない証として、火砲(鉄砲)をあなたの国の主に献上したい。」
3人は喜び鉄砲を赤尾木に届け、領主である種子島時尭公(ときたかこう)に献上した。時尭公も大いに喜んで鉄砲を受け取った。そして八板金兵衛(やいた きんべい)にその製造方法を伝授させた。
これが日本における初めての鉄砲製造である。このことによって、武器の威力が増大し、日本の軍制に大きな変革をもたらすことになった。よって、この史跡を不朽に後世に伝えるため、ここにこの碑を建設する。
昭和9年12月25日
 
強風が吹く石浜。岩場で波が砕ける音が響く。
石浜には打ち上げられた漂着ゴミ多数あり。
種子島南端の門倉崎
よく手入れされた芝生の広場あり。
広場の片隅にはソテツが植えられている。
門倉崎からの景色
波しぶきで霞んでいる。宇宙センターまでの海岸線を望観できる。
門倉崎の入り口に設置されている銅像。
疲れた時は菓子パンを食べる。
モグモグごっくん。
種子島ではサトウキビの栽培がさかんに行われている。
温暖な気候に適しているそうな。
収穫されたサトウキビがネットに入れられ、道路脇に置かれている。
サトウキビを収穫する機械。なんと驚愕の1台2000万円。頼まれてあちこちの畑の収穫を行っているのだとか。隅の方の機械が入れない場所はナタで刈り取っていた。
休憩中に農家の方から話をうかがうことができた。なんでも、若い頃に都会に憧れて島を出て行ったものの、都会の暮らしに消耗して途中で島に戻ってきのだそう。種子島にはそんな出戻り組が多く、農家の大半は兼業で昼間働きに出ているんだとか。島での暮らしも決して楽なわけではないが、居心地がよくて心が休まると仰っていた。
サトウキビから作った黒砂糖の塊を頂く。
これは自家栽培したものではなく、スーパーで買ったものだとか。
一口食べただけで、口の中が濃厚な甘さでいっぱいになる。
自転車を走らせながら少しずつ食べていった。甘みが強すぎて一気に食べられない。コーヒーなどに少し入れるといいかもしれない。
周囲は田んぼが広がる長閑な道。
晴れ間を見つけては、テントを抜け出し島内を行ったり来たりを繰り返した。(主に南部の近場。)
下中八幡神社のすぐ近くにある丸い形の不思議な森。
周囲の田んぼは御神田(オセマチ)と呼ばれて、神社のお田植え祭の神事が行われるそうな。
宝満(ほうまん)の池
宝満の池は周囲が1,230m、深さ6m、南北460m、東西334mの海跡湖です。ハスやヒシ、オニバスなど貴重な植物の宝庫で、冬になると遠くシベリアや中国東北地方からマガモ、コガモ、オナガガモなどが渡ってきます。
飛来するカモを狙い、この地では伝統的に「突き網猟」と呼ばれるユニークなカモ猟が行われてきました。カモは夜になると、タニシなどの餌を求めて池から水田へ飛び立ち、翌朝池に戻ってきます。餌を捕りに池から出る時と池に帰ってくる時を狙い、扇型の網を投げる突き網猟は高度な技を要し、現在もこの猟が行われているのは、全国でも宝満の池のほかは石川県加賀市大聖寺(だいしょうじ)片野の鴨池と宮崎県佐土原(さどわら)町の巨田池(こたいけ)(いずれも県指定文化財)だけです。
中でもこの突き網猟は、樹の上に足場を作り、そこに身をひそめて猟をするという非常に難易度の高い猟法です。
昔は大網を張り渡してカモを捕まえる猟も行われており、今も宝満の森には名残の鉄柱が立っています。またハゴサシという鳥モチを塗った竹を水田の中に何本も立て、夜間にカモがかかるのを待つ猟も以前は行われていました。
 
整備された農業用の水路
種子島宇宙センターには何度も行った。
行った回数は記憶になし。
意味もなく島内をグルグルと回り続ける。
宇宙センターの外にもロケット関連の企業あり。確か三菱。
田んぼの中に鉄筋コンクリート製の建物が建っている。
現在、南種子町の図書館が入っている建物はもと県立南種子高等学校。2010年(平成22年)3月に閉校となった。
正面玄関に植えられたあこうの木。威風堂々とした雰囲気を放つ。
宇宙が丘公園から見える謎の施設は宇宙が丘追跡所。
一般人は立ち入り不可の施設。
真っ直ぐ上を向けられたアンテナ。人工衛星と交信しているのだろう。
その後、何度か嵐をやり過ごした。
雨は降っては止み降っては止みを繰り返し、時に土砂降りの雨に襲われテントが浸水した。
天気に翻弄される毎日。雨が止むとテントの中の荷物を出して乾燥させる。
ときどき、頭上からヤシの木の枯れ葉が降ってくるので気を抜けない。
テントを直撃したらただでは済まない。
ロケット打ち上げまでキャンプ場で待機していると、ちらほら地元の人がやって来た。
ある日、場違いなおばさん2人組がやって来て声を掛けられた。宗教の勧誘だった。「神の存在は否定しないが、頼る気は全くないし、興味もない。自分でなんとかする。」などとキッパリと答えると、「確かにあなたには神の助けは必要ないかもしれない。」などと言い、小冊子を手渡して悠然とどこかへ去って行った。
またある時は公園の近くに住む方から、「自転車旅に興味があるので自転車を見せて欲しい。」と言われる。とても嬉しかったので私の知ること全てを答えた。
すると飴を頂いたうえ、暇があったら家に遊びにおいでと誘いを受ける。こういう時に気をつけねばならないのは家族の存在。一人暮らしであれば気軽に行っても問題なし。だが家族がいる場合は慎重に検討した方がよい。本人は大歓迎でも、家族が嫌がることがある。どこの誰かも分からないおっさんが突然訪ねていくと、たいてい気まずい雰囲気になる。飴と好意だけ頂いて、おじさんを訪ねていくことはしなかった。
こうして種子島での生活はまだまだ続く。
 
おわり